なぜ私は食事が嫌いか


そもそも食事とは、 動物や植物の 死体を口の中に入れる ことです。

しかも動植物の死体を口の中に入れるだけでなく、 それを歯で ぐちゃぐちゃ に噛み砕き、 唾液と混ぜて でろんでろん にし、 舌で ぐちゅぐちゅ に混ぜ合わせ、 あまつさえそれを飲み込んで 体内に入れる のです。 食事後のあなたの口の中は、 唾液と混じった動植物の死体の残骸がそこかしこに ベったり とくっついています。 これで生理的険悪感を催さない方が不思議です。

さらに エコロジー の点から見ても、 食事という行為には許し難いものがあります。

たとえば日本人の主食である米について考えてみましょう。
米粒一つ一つは、 イネの種子です。 本来ならば食卓などにのぼることなく、 新しいイネの個体として生長する可能性を持った一つの生命体です。 一杯の茶碗に盛られた何百何千という生命、 それをあなたは 殺害している のです。

欧米人のように主食がパンになると、 罪は更に増大します。
パンを焼くということは、 単に麦の種子を殺害するだけではありません。 それに加えて、何億何兆というイースト菌を人工的な環境で 無理矢理増殖させ、 その後それらのイースト菌を 生きたまま釜の中で焼き殺す ことです。 はっきり言って、 これは立派な 大量虐殺 です。

これらに比べると、 肉料理や野菜料理は、 一つの生命体の一部だけを使うという点でまだ罪が軽い方です。 殺される生命の数と、 それによって食が満たされる人間の数との比率で考えるならば、 パンを食べることより鯨肉を食べることの方がよっぽどエコロジカル です。

いずれにせよ、 もしあなたが 「生きとし生けるもの、すべての生命は平等に尊い」 と考えているならば、 今すぐに物を食べるのをやめるべきです。

え、私ですか?
私は利己主義者なので、 自分の生命を維持するためという 義務感ゆえに食べています。 もし何も食べずに済むならば、 きっと食事などしないことでしょう。

もし生まれ変わることがあるならば、 そのときは 木になりたい と思っています。 そうすれば自ら手を下して生命を殺害することは最小限に押えられるでしょうから。

もしそれが無理なら、 モンシロチョウの幼虫 なんかもいいな、 と思います。 なにしろキャべツだけ食べていればいいんですから。 モンシロチョウなら母親に

「ぶつくさ言わないで出されたものを食べなさい」

と言われることもないし、 小学校の先生に

「給食を全部食べるまで昼休みは無しです」

といじめられることもないし、 奥さんに

「せっかくあたしが作ったものが食べられないって言うの?」

と脅迫されることもありません。

ま、いずれにせよ食事というのは 毎日のつらいおつとめ ですし、 必要悪 であると言えましょう。


最終更新日 : 2006年6月19日